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歴史
1954(昭和29)年2月1日の午後5時35分に夫のメジャーリーガーであるジョー・ディマディオ選手と新婚旅行のために羽田に降り立ったのが、アメリカの人気女優マリリン・モンローです。一度はタラップを降りたものの、あまりの群衆に再び機内に戻り、荷物の積み込み口から脱出し、宿泊先の帝国ホテルにオープンカーで向かったという記録が残っています。ジョー・ディマディオ、マリリン・モンロー夫妻は福岡、岩国、広島、神戸などを訪れ、その間マリリン・モンローは朝鮮の国連軍慰問も行いました。そして2月25日14時7分に羽田空港からサンフランシスコへ帰国しました。

マッハ2(時速約2160km)を超える飛行速度を実現した超音速旅客機「コンコルド」。開発はフランスのシュド・アビアシオンとイギリスのBACが中心となって開発され、1975年に就航ました。収益性や安全性などの問題から、2003年に残念ならが退役しましたが、
日本にも何度か姿を現しています。もっとも古い記録は1972年にプロトタイプが飛来、その次が1986年にフランソワ・ミッテラン大統領が来日した際のエールフランス特別機でした。この他、長崎空港や関西国際空港など、日本には合計5回飛来しました。

1960年(昭和35年)から導入した日本航空としては初となるジェット旅客機であり、その美しい佇まいから「空の貴婦人」とも言われたダグラスDC-8シリーズ。初期から中期に導入された機体には日本の景勝地にちなんだ愛称が与えられました。また、長距離にも対応できる性能から、国賓や著名人の移動でも活躍しました。ビートルズは日本公演にあたり、前の公演地である西ドイツ・ハンブルクからイギリス、アメリカ(アンカレッジ)を経由してやってきました。搭乗してきたのはDC-8-32型として導入され、-53型に改修されたMATSUSHIMA号(登録記号JA8008)でした。6月30日から7月2日にかけて5回の公演を行ったビートルズは、7月3日に次の目的地に向けて出発しました。出発時に搭乗したのは、日本航空のDC-8-53型KAMAKURA号(登録記号JA8006)でした。

東京飛行場は逓信省による民間専用の飛行場として開設されました。総面積は52.8haで、滑走路は300m×15mの1本のみ。そのほか、施設としては円形の待合室と格納庫2棟だけで、管制塔はなく、手旗信号で運航業務を行っていました。1931年8月25日の開港第1便は、日本航空輸送株式会社が運航する大連行きの6人乗りフォッカー型機でしたが、乗客はなく、松虫と鈴虫6000匹が運ばれたと記録に残されています。
(写真)
国土地理院
地図・空中写真閲覧サービスより
